文学学術院教授/
坪内博士記念演劇博物館第八代館長
Q:早稲田大学で教鞭をとられる一方で、演劇博物館の館長もされていらっしゃいますが、具体的には、どのようなご活動やご研究をされているのでしょうか。
2013年4月から演劇博物館(以下、当館)の館長を務めております。それ以前から、早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系の教員をしており、サミュエル・ベケットの研究を専門としています。ベケットは、1969年にノーベル文学賞を受賞しているアイルランド出身のフランスの劇作家です。日本では『ゴドーを待ちながら』が最も知られている作品かもしれませんね。ベケットは、戯曲以外にも詩や小説、ラジオやテレビ向けの作品なども作っており、中でも私はベケットの演劇とテレビドラマを専門に研究しています。
2006年には、ベケット生誕100年を記念し、早稲田大学21世紀COE演劇研究センターおよび日本サミュエル・ベケット研究会の主催で、「ボーダレス べケット(Borderless Beckett)」という本格的な国際シンポジウムを行い、諸外国からも大きな反響を頂きました。オランダのロドピ社から刊行されている、『今日のサミュエル・ベケット(Samuel Beckett Today/ Aujourd'hui)』という叢書では、このシンポジウムの特集が組まれ、私も編集委員として参加させていただいた次第です。また、2013年2月に英国のケンブリッジ大学から刊行された『サミュエル・ベケット イン コンテクスト(Samuel Beckett in Context)』という書籍は、37人のベケット研究者によるベケット研究の教科書とも言うべき一冊なのですが、光栄なことに唯一の日本人として一つの章を書かせていただきました。ほかにも国際ベケット基金の顧問を経て、現在は国際的学術誌の『ジャーナル オブ ベケット スタディーズ(Journal of Beckett studies)』の編集顧問もしております。
また、ベケット研究とは別に、演劇研究者としての活動もしています。現在は、文化構想学部におりますが、以前は文学部の演劇映像専修で西洋演劇を担当しておりました。日本の現代演劇も大好きで、授業で取り上げたりもしています。
そして、今、最も力を入れているのがテレビドラマの研究です。一つの芸術作品として成立している映画とは異なり、これまで、テレビドラマが研究の対象になることはありませんでした。しかし、私たちはテレビドラマに非常に大きな影響を受けています。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」などはそのいい例で、視聴者はフィクションだと分かっていても、明るく生きる登場人物たちから力をもらっていますよね。そうした影響力の大きさからしても、テレビドラマの研究はとても興味深く、意義深いものだと考えています。
Q:何をきっかけに、現在のご活動やご研究の道に進まれたのでしょうか。
もともと演劇が好きで、高校、大学時代は学生演劇に没頭していました。ベケットとの出会いは、高校時代の先生が、劇作家である別役実さんの作品を勧めてくださったことがきっかけになっています。別役さんの作品がすごく面白くて、いろいろと調べているうちに、別役さんがベケットの影響を大きく受けていることが分かりました。そして、大学で英文学科に進んだのを機に、ベケットをもっと知りたいと思うようになったのです。そうしてベケット研究にのめりこんでいったのですが、行き詰まった時期がありました。そんなとき、私の恩師であり、ベケットを初めて日本に紹介した人物でもある安藤信敏(安堂信也)先生に大学の構内でばったりと出くわしたのです。それで「ベケットの研究をやめたい」とつらい気持ちを吐露しました。すると先生は「自信満々な人間に、ベケットは分からないものだよ」と言ってくださり、私はその言葉に救われました。それからは、その言葉を支えに、ベケット研究を続けています。
また、私がダブリンに留学していた際、司馬遼太郎さんにお会いする機会がありました。非公式の通訳兼ガイドとしてお供をさせていただいたのですが、司馬遼太郎さんイコール歴史作家というイメージがありましたので、ベケットの作品や批評にはあまり関心をお持ちではないと勝手に思っていました。ところが、私の論文を丁寧に読んで下さり、驚いたことに、帰国後に書かれた『街道をゆくシリーズ・愛蘭土紀行』の中で【ベケット】という章を立ててくださったのです。ただの大学院生だった私についても触れてくださり、素晴らしいベケット論を展開してくださいました。専門家ではないのに、ご自分の土俵でとても豊かにベケットについて語っていらっしゃることに衝撃を受けました。そして、自分の専門に凝り固まることなく、豊かに語っていくことの大切さを学ばせていただきました。私のベケット研究において、安藤先生と司馬先生の存在は、とても大きいですね。
Q:演劇博物館の第8代館長のお立場から、博物館の特徴と社会における役割を教えて下さい。
当館は、1928年に坪内逍遙によって創立された、日本で唯一の演劇映像専門の博物館です。創立者の意向もあり、当館では日本に限らず古今東西の演劇資料を幅広く収集していることから、世界でも珍しい博物館として知られています。
演劇資料といっても、美術的、芸術的に価値の高いものだけを収蔵しているわけではありません。演劇は総合芸術ですから、台本、チラシ、ポスター、書簡、日記、新聞記事、あるいは楽譜や設計図といった紙媒体も重要な演劇資料です。ほかにも、衣装、小道具、仮面、人形、楽器、模型などの制作物や記録映像などが、演劇資料として収蔵されています。広範な演劇資料を通して、演劇そのものが持つエネルギーを未来に伝えていくことができるのが、当館の特徴です。
なお、当館は、文部科学省の大型プログラム(21世紀COEプログラム、グローバルCOEプログラム)に採択されてきた実績から、博物館であると同時に、国際的な演劇や映像の教育研究拠点にもなっているといえます。つまり、博物館として資料を収集することが、演劇や映像の分野における教育に直結していることになりますので、教育という意味においても、当館は重要な役割を担っていると考えます。また、広く一般の皆様に興味や関心を持っていただくことも当館の大切な役割ですから、今後は、演劇に関心のない方々でも、気軽に足を運びたくなるような面白いテーマで展覧会を企画するなど、工夫を凝らしていきたいと考えています。
Q:寄付金による支援活動については、どのようなお考えをお持ちですか。また、世界に貢献し続ける早稲田大学が担う役割について、先生はどのようにお考えでしょうか
大学内の博物館ですので、現在のところ入館料を頂いておりません。もちろん、大学からの予算はありますが、より充実した博物館にするためには、皆様からのご寄付に支えていただく部分が非常に大きいです。賜りましたご支援は、国内外の演劇資料を調査する費用、収蔵すべき資料の購入費、資料のデータベース化やデジタル化推進のためのシステム開発費、また次世代の研究者養成費などに、大切に使わせていただいております。例えば、実は現在、寺山修司の膨大な資料を、寄託という形でお預かりしております。このような貴重な資料を散逸させることなく、きちんと保管し、研究に役立てていくために、ご支援のほど、どうぞ宜しくお願いいたします。
早稲田大学の役割については、やはり、芸術や文化の点においても、国際的にリードしていく存在でありたいですね。すでに、多くの早稲田大学の卒業生たちが、劇団やテレビ局、映画関係など、さまざまな制作現場で活躍しています。この事実こそ、早稲田大学が日本の文化を発展させ、世界に発信していく人材を育てられる場所であることの証拠ではないでしょうか。当館も早稲田大学の一つの顔として、貴重な演劇資料を収集し、それと同時に、研究や教育といった側面にも力を入れ、優れた人材の輩出に貢献していきたいと思います。
当館には、海外からお見えになる方もたくさんいらっしゃいます。また、シンポジウムに参加してくださる皆様の国籍は実に多様です。ニュースなどでは国家間の摩擦などが取り上げられることがしばしばありますが、文化に国境はありません。早稲田大学が、芸術や文化を通して、世界との架け橋になっていけるよう、演劇博物館としても最大限に尽力していく所存です。
※参考文献