川淵 三郎 様

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川淵 三郎(かわぶち さぶろう)  
リーグ初代チェアマン
一般社団法人日本トップリーグ連携機構代表理事 会長

 
1936年、大阪府出身。早稲田大学商学部を経て、1961年に古河電工に入社。同社サッカー部でプレーする。1970年に現役引退。サッカー日本代表監督などを経て、1991年にJリーグ初代チェアマンに就任。2002年に同職を退き、日本サッカー協会の会長に就任。現在は日本サッカー協会最高顧問、日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー、日本トップリーグ連携機構会長などの要職に就く。
2017.12更新
 

新たな文化を創造する「早稲田アリーナ」に期待しています

記念会堂は私が早稲田大学に入学した1957年に竣工されたこともあり、早稲田大学の中でも大変愛着のある場所のひとつでした。その記念会堂が建て替えられると聞き、校友のひとりとして、早稲田スポーツや早稲田から巣立つ後輩を支える気持ちを込めて、ささやかですが支援をさせていただきました。
 

記念会堂から生まれ変わる施設は、学生や校友から募って決定された名称「早稲田アリーナ」になったと聞きました。この「アリーナ」という名称は非常にいいですね。「アリーナ」という言葉には強い思い入れがあります。私はバスケットボールのBリーグの立ち上げに参画しましたが、その際、1部リーグのB1リーグへ参加できるクラブの条件として「5,000人以上収容できるホームアリーナを持つこと」を挙げました。国内の施設を調べてみると、日本には体育館はあってもアスリートの側だけではなく、観客のことを考えた施設、「アリーナ」と呼ぶに相応しい会場がないのです。これでは日本のスポーツ文化は発展しないと危機感を覚えました。私が考えるアリーナとはスポーツ以外にも音楽などの文化的な会場としても機能し、観客が快適に過ごせる場所のことです。さらに地域に貢献できる機能や魅力を備えていることが必要です。日本にも「体育館」ではなく、まさに「アリーナ」が増えて新たな文化を育んでいくべきだと日頃から訴えています。「早稲田アリーナ」の場合、プロスポーツの会場ではなく大学の施設ですから私の考えるアリーナとは趣が異なるかもしれません。しかし、「早稲田アリーナ」は体育施設のみならず学習施設や憩いの場(戸山の丘)を備え、非常時には地域の防災施設としても活用されるなど多目的な機能をもっている。これは従来の「体育館」を超えた立派な「アリーナ」といえるでしょう。
 

この「早稲田アリーナ」が新たな文化を創造する施設として、またここを巣立った、後輩たちが世界を舞台に活躍することを期待して、私はこの事業を応援しています。

 

 

※早稲田アリーナ募金趣意書(2017年発行)「寄付者からのメッセージ」より